書評 愉しくほがらかに、芯を持って生きるということ。 堀井美香著 「一旦、退社。」
- SACHIKO SAITO
- 2025年11月2日
- 読了時間: 3分
『一旦、退社。
50歳からの独立日記』
堀井美香著 大和書房 四六判並製/256頁 2023年2月発行 本体1500円+税
2022年、50歳を目前にして退社を決意した元TBSアナウンサーの堀井美香氏が、フリーランスとなってからの1年間に起きた出来事や考えた物事を綴ったエッセイ。堀井美香氏は、ジェーン・スー氏と共にパーソナリティーを務めるポッドキャスト「OVER THE SUN」でもおなじみのアナウンサーだ。
分かりやすいだけでなく、特有の柔らかさと優しさがある文章は読み心地が良い。世代や性別、価値観も様々な多くの人に情報を届ける公共放送の世界で腕を磨いてきた言葉のプロならではの心配りが感じられる。
ファンデーションの色が自分の肌と合わなくても構わず使ったり、ファッション誌の撮影を前に我流ファスティングを始めるも、うっかり初日から気を失うほど食べてしまうなど、ご本人のちょっとうっかりな暮らしぶりやお人柄もあいまって、一冊を通してとても親しみやすい雰囲気だ。
エッセイの1つに、著者が18歳で秋田県から上京して以来住み続ける東京への思いを綴ったものがある。
「私たちは、ふわふわと足を空回りさせたまま、東京と添い遂げる覚悟もなければ、東京を途中下車する決断もできずにいる。
あの日、磁石みたいに東京に吸い寄せられ故郷を出たときに、こうなることはわかっていたのに。」
筆者も18歳で上京して以降、永住するともいつか移住するとも決めないままに東京に住み続けている。「こうなることはわかっていたのに」。どれだけ長く東京で暮らしても、「東京の人」を自任して、東京に根を下ろす決断はできないままな気がする。そこに特別な感傷を抱くわけではないが、前述の文章には地方から東京に出てきた者の言いようもない気持ちが表れているようで、読みながら深く心に残った。
ふんわりとして優しい雰囲気を醸し出すエッセイには、真面目に愚直に自分の人生と向き合ってきた著者の足跡も綴られている。「君、朗読うまいね」というベテランアナウンサーの言葉をたよりに、若手時代からコツコツと朗読の練習を続けてきたことや、フリーになると決めてすぐに朗読会の会場を予約したこと、その会場で行ったフリー初の朗読会のことなどが、丁寧な文章で書かれている。一人でやっていく覚悟が後からついてくるようにと、スポンサーもスタッフも演目も未定のまま、まずは朗読会の箱を抑えてしまったという豪胆さが清々しい。
「一旦、退社」。タイトルも出版当時の著者の立ち位置を端的に表していて小気味好い。気負わず読めるやさしい文章から、愉しくほがらかに、ぶれない芯を持って生きる著者の考えが伝わる一冊だ。
コメント